marurin’s diary

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映画「CUBE 一度入ったら、最後」を見た話

2021年10月27日、友人と映画「CUBE 一度入ったら、最後」を見に行きました。思いっきりネタバレありの感想を書くので、まだ見ていない方は見てからご覧ください。

 

 

 

 

私は原作を見ずに行った。映画の公式ホームページでそれぞれのキャラクターの背景やキーワードとなる言葉だけ予習していった。この映画を見ようと思ったのは星野源が主題歌を歌っているからだ。スリラー系は苦手なので友人を連れて行った。

 

この映画を通じて思ったのは、やっぱり人間が一番怖いんだなということだ。私は最初越智がそんな人を殺すような人間には見えず、越智が豹変する姿を見て衝撃を受けた。

越智と博人は正反対にいる人間に思う。もう自分ではどうすることもできない状況に置かれたとき、その人は自分を殺すか、相手を殺すかどちらかしか選べないのだろう。そして博人は自殺を選び、越智は人を殺すことを選んだ。

 

後藤家はおそらく、父親が暴力的で家族としての役割を担っていなかったのだろう。裕一も博人も逃げることもできず、ただただ我慢して頑張るしかなかった。もしかしたら学校でもいじめにあっていたのかもしれない。それに耐えられなくなった博人は自殺を考えてしまう。裕一は飛び降りようとしている博人にかける言葉を間違った。自分は頑張れたんだからお前も頑張れ、そう声をかけてしまった。きっと博人は違う言葉を望んでいたんだろう。唯一の味方だと思っていただろう兄も自分の気持ちを理解してくれない。自殺をしてしまいたくなる気持ちは痛いほどわかる。裕一は弟の異変に気が付きながらも見ないふりをして、かける言葉を間違えてしまう。そのことをずっとずっと後悔してきたんだろう。裕一は志摩に似ていると思った。博人に我慢して何か変わったのか問われた裕一が差し伸べた手をおろしてしまうのは、きっと我慢して我慢して、どれだけ頑張っても状況は変わらなかったからだろう。裕一はきっと博人の気持ちがわかってしまった。だから何も答えられなかった。もし私が同じ立場なら、同じく答えられないかもしれない。兄弟間にすこし距離があったのだろう。お互いに自分が生き延びることで精一杯で相手を思いやれなかった。博人が自殺したのは裕一のせいではない。しかし裕一はきっと自分のせいだと思いながら生きてきたのだろう。

 

越智は生きていく上で起きる理不尽な出来事に心底うんざりしていたのだろう。どうして自分がこんな目に合わなきゃいけないのか腹が立ち、心の奥底では世間を憎み殺意を抱いていた。CUBEの世界では法律がない。殺しても罰せられない。そのことも越智の一線を越える引き金になったのかもしれない。誰かに殺意を抱いたとき、その気持ちを抑えるのはとても難しい。殺意は誰もがもてあましてしまうだろう。

 

博人も越智もどちらもどうしようもない状況で、逃げることができなかった人間だ。殺意にも似た怒りや悲しみを誰に向けるのか。その向く先が違っただけの根本に抱く感情は同じ二人なのだろう。

 

千陽は博人に近いタイプの人間だ。どうしようもないと分かったとき、自分を殺してしまいたくなる。だからこそ、同じような状況にいた博人に差し伸べた手をどうしておろしてしまったのか。ここまでの流れで裕一との間に少し信頼関係ができていたのに、結局大人はみな同じだと思わせてしまった。千陽は学校でいじめを受け、大人から中途半端な助けを受けたのだろう。中途半端な救いはかえって相手を傷つけてしまう。裏切られたと感じてしまう。CUBEの外にいても、中にいても変わらない。そう思って自らトラップにかかろうとしてしまったのだろう。

千陽は最後、唯一CUBEの外に出られる。そのとき、甲斐から外に出ても何も変わらないかもしれない。それでも外に出るのか問われる。千陽は変わらない状況に対して、自分が変わるという結論を出す。自分を殺すのでもなく、相手を殺すのでもなく、自分が変わるのだと。きっとこのシーンがこの映画が伝えたかったメッセージなのだろう。まだ13歳にも関わらず、この答えを導き出したこの子はすごいと思った。そう思えたなら、きっとあの子は外の世界でもしぶとく生きていけるはずだ。

 

 

この映画の主題歌、星野源の「Cube」はこの映画にとてもあっていると思う。CUBEの中も外も、同じ地獄でありどうすることもできない環境だ。それでも生きていくのだと、抗うのだというとてつもない生命力を感じる。こんなに素晴らしい主題歌を作れるなんて天才か?と思う。理不尽に対する怒り、変えられない現状への絶望。それらがありながら、学習性無力感に負けてたまるかという、怒りを原動力にした叫びのようなものを感じる。ぜひ多くの人に映画館で聞いてほしい。

 

 

私が個人的に好きだったのは、安東だ。若者に対してのあたりは強く、そのせいで殺されてしまう。しかし、自分が善人ではないことを自覚し、誇りに思っていると言葉にして言える強さがある。いままでやってきたことに対して罪悪感も抱いているところが人間らしい。後藤達と別れるとき、ガキは嫌いだともう会えなくなってもいいように嫌われるようなセリフをいうあたり、きっと根はやさしい人なのだろう。

 

CUBEは普段人が隠している本性が現れる。それを見る限り、きっと人間の本性はみんな身勝手なのだろう。自分だけが生き残れればいい、自分に利益が出ればいい。しかし、人と関わっていくなかでやさしさが芽生える。それも同じくその人の本性なのだ。

 

CUBEはこの社会の縮図である。結局環境は変わらないし、逃げられない。その中でも、生きようとする人間の本能がある。環境が変わらないのであれば、自分が変わるしかない。この社会というCUBEのなかで、私たちは抗いつづけるしかないのだ。

 

 

映画「CUBE 一度入ったら、最後」を見た話

fin.