marurin’s diary

心のままにつぶやくだけの場所

12/10

絶賛就活中の私ですが、明日は初めての最終面接。しかも対面。ここ1週間くらい生理の貧血で倒れてたので、メンタルもからだも全然動かなくて🥲

生理になるとメンタルやられるのほんとにどうにかしたい…今回は特に酷くて、なんか泣かないとしんどいし、腹痛も酷いしめまいも食欲もないしでほんとに大変。こんなんで明日の面接行けるのかなぁ。行ける気全くしてない🥲頭も動かないし

 

最近夢見が悪くて、現実に似た夢を見る。大倉くんもライブ前はそうなるって言ってて、プレッシャーすごい仕事だよななんて思った🥲そう言ってくれるだけで救われる

 

今回の生理体調終わってるなぁ。いつもこのくらいになると治るのになぁ。もしかして風邪ひいた?まだ頑張り始めて1ヶ月経ってないのに体力無さすぎ…お腹痛い🥲夜ちゃんと寝てるのにな。ご飯もできるだけ食べてるし…寝ても寝ても眠い

 

最近やっと15祭とグレイテストを見返せるようになって。久々に見返したら号泣しちゃった笑

特に15祭は、参戦した当時はなんも知らずにただ楽しんでただけだったから今見ると大倉くんからのメッセージが込められてて。5年越しに受け取ったよ。門出と集大成と、少しの心構えと、この先の不安さ。その後にぼちよるを見て、ほんとに大変だったんだろうなって。

 

大倉くんが15祭を作ってくれて良かった。参戦した時は、挨拶がVTRとか、曲とかDVDの発売があまりに早かったりでちょっと変だなとは思ったけど、まさか脱退するとは思ってなかったから。でもきっとどこかで分かってたんだろうなとも思う。信じたくなかっただけで。亮ちゃんの脱退を知った時、すばるくんほどの驚きがなかったなぁって。それはきっと大倉くんがあのライブで伝えてくれてたんだなって。今ならわかる。

 

15祭のことを思い返すと、違和感はたしかにあったし、不安定感もあったけど、楽しかった思い出なんだよな。友人が亮ちゃんからファンサもらってたり、私も丸ちゃんからファンサと呼んでいいのかわかんないけどもらったし笑

Tokyoholicとかものすごく盛り上がったなって懐かしくなった。最終日だったと思うけど、亮ちゃんが真ん中のステージに腰掛けながら会場を見渡してたのが、なんも知らなかったけど印象に残ってて。亮ちゃん今何感じてるのかな、亮ちゃんの目にはどう写ってるんだろうって思ったのを未だに覚えてる。

 

グレイテストの時にスカパラさんが来てくれたの、きっとものすごく支えられたんだろうなって今ならより分かる。スカパラさんゲストの時たまたま参戦してて、めちゃくちゃ楽しかったなって。

 

あの頃を思い返すと、ここまで来れて良かったって思うし、ここまで長かったなって思う。5年ってものすごく長いね。コロナ禍もあって、よりeighterに心を開いてくれたのがとても嬉しかった。これ以上はないって思ってたのに名前まで変わって。それでもアイドル続けてくれて、会いに来てくれて、愛を届けてくれて。本当に出会えてよかったって思う。すばるくんの脱退の時、こんなに辛いなら出会わなければ良かったってちょっとだけ思ったけど、今は出会えてよかったって思うよ。心の底からそう思う。

最近の話

二十祭がスタートし、東京参戦の私はネタバレ回避のためにXから離れています。Twitter依存症の私からするとほんとに落ち着かなくて、つぶやきたいことたくさんあるのに心に溜まっていく一方で、Twitterでつぶやくのって結構私の中で大事な事だったんだななんて感じています。今までガッツリ離れたこと数えたくらいしかないもんな。

 

ってことでここをつぶやき代わりにしようってわけです。

くるしい

母親に高校の頃、学校行きたくないって言ってもわかってくれなかったってやっと言えた。でもその返答は、「確かに理解しきれなかったかもしれないけど、あなたも私のことわかってくれなかったでしょ?」って。親が子に気持ちを理解しろって言うのは中々酷な話じゃない?

 

私はきっと自分の気持ちに寄り添って欲しかったんだなって。今回も高校生の時も。幼い頃から、否定して無理強いするんじゃなくて、結果変わらなかったとしても、気持ちを聞いて欲しかった、理解しようと寄り添って欲しかったって今更気づいた。ずっと否定されたり問い詰められるのが辛かった寂しかったってやっとわかった。私が寂しさに気づくのが遅いのは、もしかしたらこれが原因なのかもね。気づきたくなかったのかもね。自分の気持ちを上手く言語化できないのもそうかも。

絶望中

人間ってきっと本当に文字通り、望みが全て絶たれたら死ぬしかないと思うんだよな。だから、絶望してるって思ってる今も、きっと微かに望みはあるんだろう。

 

それでもつらいし苦しいし死にたくて仕方ない。もう1ヶ月くらい基本苦しくてたすけてくれって思ってる。でもそれと同時に、死にたくない。まだ楽しみなことがあるのにって思ってる。死にたくないのに死にたくて、たすけて欲しいのにきっとどこかでこのままでいいと思ってる。そんな自分が嫌いだ。

 

死ぬのは怖い。首吊ろうかと思ったけど、少し体重乗せただけで苦しくて怖かった。自分には出来ないって思った。今まで自殺してきた人は本当に勇気があるよ。色んな意見があるだろうけど、死ぬ勇気を持てたところは褒められていいんじゃないのかなって。認めてあげて欲しい。

 

私はきっとそれなりに与えられて、恵まれた環境にいるはずなのに、なんでこんなに辛いんだろう。世の中にはもっともっとつらい思いして死にたくなってる人がいるのに、なんで私はこんな小さいことで苦しんでるんだろうって。でも確かに苦しくて辛いんだ。こんな小さい事で死にたくなってたらこれ以上生きていけないのは分かってる。社会に出てすらないのに。そんな自分も嫌いだ。社会に出てもっともっと辛くなってもっともっと死にたくなるのが目に見えてるのに、なのに生きていきたいなんて思えないよ。でもそれなりに楽しみなこともやりたいこともあって、もう訳が分からない。

 

自分のことが嫌いすぎる。できないことが多すぎて、努力すればできるようになるんじゃないかって思って頑張ってきたけど、結局何も出来なかった。努力すらできない人間だった。もう自分に絶望した。もう無理だ、自分はこういう人間のまま生きるしかないんだって。普通のことを普通にできない。人が少しの努力でできることがとてつもなく努力がいる。頑張っても努力を努力と認められない。それは普通の人は普通にできてる事だから。そんな人間のまま生きるしかないなら、もう生きていたくない。努力すらできない人間は生きてる資格なんてない。もう自分から離れたい。こんな人間クズすぎてつらい。自分と向き合うのも疲れた。いつかできるはず、のいつかなんて来ない。メイクも髪型も服装も頑張って磨いたけど、結局ブスのままだ。肌が汚いし、目も小さい。そもそもの素材が悪すぎる。コンプレックスしかない。もうリセットしてやり直したい。

 

なんで努力できないんだろう。努力ってなに?そんな気力なんてない。人を信じるってなんだったっけ?いつから信じられなくなった?いつからずっと壁を作って生きてきたんだろう。傷つきたくない。いつから臆病になったんだろう。全部全部生まれつきかな。それなら生まれた時から不良品だ。もうこれ以上辛い思いしたくない。傷つきたくない。苦しみたくない。もう考えたくない。感じたくない。逃げたくて逃げたくて仕方ない。逃げて逃げてその先に何がある?逃げても逃げても結局逃げられなかった。

 

もう嫌だ。疲れた。休みたい。もう自分と向き合いたくない。ずっと向き合ってきたじゃん。もういいでしょ?向き合って向き合って変えようとして何も変わらなかった。これ以上変わるわけない。もう期待させないで。期待しないで。自分のことを思われるとつらい。負担をかけたいわけでも感情を消費させたい訳でもない。どうして欲しいか自分でも分からない。もうとにかく逃げたい。何も考えたくない。幸せなことだけ考えて生きていたい。私を見ないで。

 

このままじゃだめなのはわかってる。このままでいいと思ってる自分もいる。悲劇のヒロインでいたい自分がいる。誰かに可哀想と思って欲しい。心配されたい。助けられたい。愛されたい。満たされたい。寂しい。虚無なのずっと。何かがずっと足りてない。あたまおかしくなりそう。発狂しそう。人間って案外狂わないんだよ、知ってた?

何も分からなくなりたい。何も感じたくない。周りに気づいて欲しい。助けて欲しい。でも努力はしたくない。できない。そんな気力ない。疲れた。諦めた。もう楽になりたい。人と関わりたくない。愛されたいよ。愛されてたのに、ちゃんと。なのになんで足りないの。全部全部自分のせいだ。そんなの分かってる。自分の心の持ちようってわかってる。けど辛いの苦しいの。変えられないの。なにもかも。向き合わなきゃいけない、努力しなきゃいけないのなんてわかってる。けどできない。したくない。辛いなにも出来ない苦しい。変わりたくないとすら思ってるきっと。ありのままでいてなんて、そんなの無理だよ。ありのままじゃ誰も愛してくれない。認めてくれない。ありのままを認めて欲しい。私のまま愛されたい。認められたい。そんなにわがままなことかな?わがままなんだろうな。嘘の自分しか欲しがられない。ありのままの自分は、本当の自分はいらない?明るい役割を押し付けられてる気がする自分に。本当は明るくなんてないのに、人前では明るくしなきゃなんて思っちゃう。人に迷惑を掛けてはいけない、悩ませちゃいけない、暗い話はしてはいけない。じゃあ誰が本当の気持ちに気づいてくれる?こんなに悲鳴をあげてるのに誰にも話せない。話したくない。しらけさせちゃう。悩ませちゃいけない。プラスの気持ちになれるから友達でいるのに。きっと私も相手にそう思わせてるんだろうな。本当に自分が嫌いだ。なんでこんな不器用なんだろ。プライドだけは高いクズだ。運動もできない勉強もできないブスで性格も悪い。なんでこんな人間が生きてる?必要となんてされるはずないのに勘違いして22年間も生きてきた。愛されるはずだ、自分にはできるはずだ、本気出してないだけだなんて、そんなわけないのに。元々出来ないんだよ。

 

足りないものも、出来ないことも多すぎる。不良品だ。なんで生きてるんだろう。なんで死にたくないんだろう。気づきたくなかった。気づいてよかった。死なずにすむ。もうぐちゃぐちゃだ。叫びたいのに叫べない。声が小さい。自信が無い。行動力がない。努力もしない。怠けることしかできない。性格が悪い。臆病者。空気読めない。人と合わせられない。常識がないバカ。死ぬ勇気もない。生きる勇気もない。もうどうしたらいい?生きることも死ぬこともできない人間はどうすればいい?全部から逃げたい。向き合いたくない。逃げて逃げてその先に何がある?もう人生から、自分から逃げるには死ぬしかない。

死ぬの怖いよ。はやく本当に絶望してくれ。死ぬほうが楽だって早く思ってよ。死は救済だって。死ねば楽になれる?苦しくないかな?苦しいに決まってる。愛犬だって置いていけない。ライブも楽しみだ。悲しむ人だっている。それも全部振り切って死んだら、私は大罪人かな。人の人生めちゃくちゃにして、傷つけたら許されるのかな。できることなら生きていたい。幸せに生きられるなら生きていたいよ。助けてくれる人の手を振り払って、引きこもって、辛い辛いなんて、自業自得でしかない。自分の人生、ずっと自業自得だ。前になんて進めない。死ぬ事も出来ない。立ち止まってうずくまってるだけだ。何を変えれば変わるのかも分からない。変わらない結局。ずっと苦しいままなのかな。もう小学生の頃からずっと苦しいんだ。そろそろ解放してよ。限界が来ちゃったのかな。逃げれば楽になれる、何かが変わるなんて幻想だった。本当に逃げるならもう死ぬしかないよ。こんなことで心壊れるなんて弱すぎる。心壊れてたら身体もおかしいはずなのに。きっと壊れてないんだろうな。こんなに辛いのに。もっともっと本当に辛い人は辛いのにね。本当にバカ。こんなことで耐えられなくなるなんて。本当に限界なのかただの甘えなのか、もう分からないや。あたまがぐちゃぐちゃでもう何も分からない。このままじゃだめなことしか分からないよ。自分の気持ちも、本心も、もういつからか分からなくなっちゃった。

(下書き供養)人生で初めて絵を描いた話

2021年6月5日

 

人生で初めて描いた絵を、Twitterとインスタグラムに投稿した。

 

絵を描こうと思ったきっかけは、星野源の「不思議」のMVを見たことと、その頃YOASOBIの「アンコール」というMVを見て、元となった小説を読んだことだ。

不思議はMVが公開されてすぐのことだったが、アンコールはたまたま知って、とても好きだなと思ってよく聞いていた。不思議のMVはテレビの大画面で4Kで見るととても綺麗で素晴らしいMVになっている。

どちらもそこは2人以外の人間がいない世界。恐らく不思議の世界は本当に1人と1匹しかいなくて、アンコールの世界はその街にはもう2人しかいないのだろう。

そしてアンコールの原作を読み、不思議のMVを見て、私はこの2つの世界観に通じるものを感じた。アンコールでは世界が終わる最後の日に、2人とも本当に音楽が好きだということに気がついていく。不思議は、きっと源さんは本当に世界から誰もいなくなっても、今日が世界最後の日でも、こうやって音楽に乗って歌い、踊っていくのだろうなと思わせてくれる。

 

どちらの世界の人間も、音楽を心から愛しているのだ。

 

それに気がついた時、どうしようもなく湧き上がってくる想いを感じた。そしてこの衝動を、この気持ちを形にしたい、表現したいと思った。そして、「絵を描こう!」と思い至ったのだ。

 

しかし、私は今まで絵を描いたことがない。ずっと自分は絵が下手だと思って生きてきた19年間だった。一時期絵が描けるようになりたいと思って、好きな絵を模写していたことはあったが、すぐに飽きてやめてしまった。

絵を描こうと思った数日前、何故か久々にibis paintを開いて、その時よりもできることが増えていることに気が付き、すごいな、なんて思っていた。こうやって振り返ってみると、このスイッチがなかったら描こうとも思わなかったのかもしれない。

 

絵を描いたことはないが、この込み上げる想いを絵にしたい。こんなに心の底から「この気持ちを表現したい!」なんて思ったことはなかった。

 

今までずっと自分には何も無いと思っていた。

自分を表現するものなんて何一つ持っていなかった。絵も下手で、文章を思いつくこともできず、才能なんてなくて、本当に何も無いと思った。そんな自分がいやだった。だからTwitterやインスタで、絵を描いたり文章を書いたりする人を見て羨ましかった。楽しく見させてもらっているが、違う世界の人間だ、とまで思っていたかもしれない。

 

余談になるが、絵を描く数日前リングを買った。源さんが指輪をつけ始めてからずっと私もつけてみたかったのだ。ピンキーリングとフリーサイズの指輪を買ってみた。大学の行きの電車で、どうしようもなくピンキーリングが欲しくなり、その勢いのまま授業の空きコマに買いに行った。お店に入るのはドキドキしたが、しれっといつも来てますよ?感を出して行った。しかし指輪にはサイズがあり、デザインも多様でまごついていたので、店員さんには少し怪しい人に見られたかもしれない。

いざ買って付けてみると、それだけで気持ちが明るくなった。指輪が少し大きく落としそうで怖かったが、それでも久々にこんなに嬉しい気持ちになった、と思うくらいには世界がキラキラ輝いて見えた。

今思うと、自分を表現したいという欲求は少しずつ出てきていたのかもしれない。

 

描こうと思っても、何も知識がないためMVのスクショをとり、なぞるという描き方しかできなかった。まだ自分の頭の中で想像した絵を実際に描くことはできなかった。ひたすら夢中になって時間を忘れ、ツールの使い方に試行錯誤したり、色味を何にしたらいいか考え、もう直感と感覚で描いていった。

気がついたらすっかり夜中で、4時間くらい描いていたようだ。こんなに集中したのは久しぶりだった。まだまだ終わりは見えてこない。絵を描くことは、とてつもない時間と体力と気力を使うものだと知った。

 

次の日の夜、一日中頭から離れなかった絵の続きを描いた。昨日の描き途中のものを見ると、どうしても直したくなる。絵というものは、もしかしたら冷静になると自信が無くなってしまい、勢いで描きあげた方が気持ち的には楽なのかもしれない。しかし、時間をかけた分だけこだわれるのだろう。ほぼほぼ完成し、最後の文字入れになったがどこがいいか試しすぎて分からなくなった。とりあえず明日の自分の判断に任せよう。ものづくりが深夜に捗るという源さんの気持ちが少し分かる気がした。

 

次の日、完成した絵を見て自分なりにとても充実感があった。人生で初めてやり遂げた!というような気持ちを感じた。こだわりたいところはとことんこだわり、今の自分の限界の絵が描けた。とても嬉しかった。表現することが、こんなにも大変で悩むことだとは思わなかったが、それ以上の楽しさ、充実感を得た。楽しかった。

 

その日の夜、Twitterとインスタグラムにその絵をアップした。自分でやり切ってしまい、SNS上に載せるのが少し億劫になってしまったが、元々上げるために描いたものだった。インスタには自分の想いを簡潔に書いた。源さんにピックアップしてもらえたら、なんて夢物語を思い描きながら。

私がその時引用した歌詞

"孤独の側にある 勇気に足るもの"

この""もどれを使ったらいいのか、タグはどれが公式に使われているのか、自分の想いをどのくらいまで書くのか、見えもらえる時間帯はいつだろうか、インスタのリンクを貼った方がいいのだろうか、などここにも表現の個性が出るのだろうと思った。

どうしてこの歌詞にしたかというと、私がとても好きな歌詞だから、ということもあるが、この絵を描いている時に、この歌詞が身に染みてわかったような気がしたのだ。

"好き"というこの突然込み上げてきた気持ちを持つことで、こんな地獄の毎日を一日一日、地に足をつけて歩くことができる。その"好き"という気持ちは、この世界を歩いていくための勇気である。

上手く言葉にできないが、本当に心からその通りだと思った。この歌詞を書ける星野源は本当にすごい。

 

絵を投稿してしばらくはなんの反応も貰えなかった。そんなものか、と少し落胆しつつ寝ようとしていた。その時、とある方からリプを頂いた。とても嬉しかった。自分の作品を、表現を褒めて貰えることがこんなにも嬉しいことだとは。泣きそうなほど嬉しかった。この嬉しさは実際に体験しないと分からないことだったかもしれない。

次の日起きてからも、たくさんのいいねとDMを頂いた。他の方の絵を見ていると、自分の絵がやっぱり足元にも及ばないことに気がつくが、これが今の自分の限界だ。それでも、次を楽しみにしてくださる方がいる、わざわざ足を止めてコメントをくださる人がいる。もし批判されたらどうしよう、と少しの不安を抱えた投稿だったため、こんなにも優しく絵の世界に迎えてくれてとても嬉しかった。この世界はこんなにもクソだけれども、まだこんなに優しい世界が残っていたんだと思った。そして、ずっと外側から羨ましく見ているしかなかった世界に1歩足を踏み入れられたことが嬉しかった。幸せだと思った。幸せすぎて、嬉しすぎてこの後が怖くなるほどだった。

また次に描きたいという衝動がやってきたら、書きたいと思う。次は、いいねの数やコメントの数を気にすることなく、依存することなく自分の表現がしたい、というだけで絵をかけたら、素晴らしいと思う。承認欲求への依存が少し怖くなったことも事実だ。

 

今まで承認欲求が自分の中から出てこなかったのはどうしてだろう、と思った。調べてみると

マズローの欲求5段階説というものが出てきた。人間は食べたい、寝たいなどの生理的欲求が満たされると、安全に暮らしたいという安全の欲求が出てくる。それが満たされると社会的欲求といって仲間を得たいと思うようになる。

その後承認欲求が出てきて、それが満たされると自分のなりたい自分になりたいという自己実現の欲求へとなっていく。

私が今まで承認欲求が強く出てこなかったのは、心の余裕も時間の余裕もなかったからなのではないだろうか。大学生になり少し経って、それなりに友達も出来て安定して、一人暮らしにも少し慣れてきたからこそのこのタイミングだったのではと感じた。

 

色々なことをつらつらと書いたが、結局は絵を描くということで、自分にもできることがあるのかもしれない。自分には何も無い、ということはないのかもしれない。今まで苦手だったことも、やってみたらできることがあるかもしれない。そういう自信になった。自分に自信が持てたことは人生で初めてだったかもしれない。そして、絵を描くことで初めて「生きていける」と思った。これを仕事にする訳では無いが、自分の人生を歩んでいく術を見つけたような気持ちになった。純粋に嬉しかったということが伝わればいいなと思う。

 

絵を描こうという気持ちにさせてくれた源さんと、Twitterで自分の表現をして、刺激をくれた皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます!これからも、自分の表現を、自分のペースややり方でやっていけたら、と思います。

 

 

2021年6月7日

 

人生で初めて絵を描いた話 fin.

 

これなんでアップしてなかったんだろ。読み返して恥ずかしくなったのかな?

結局その後、トレースで描いた絵を自分で描いたと言って良いのかどうかという問題が話題になり、なんだか恥ずかしく怖くなってTwitterもインスタの方も投稿は消してしまった。

でも、今でも不思議のMVは源さんの歴代の中で1番だと思ってるし、その時感じた感情の昂りも覚えている。その後1度も描いてないけど、描きたいという気持ちはあるんだ。画力が皆無なだけで。自分の表現ってめちゃくちゃ難しい。指輪だけじゃなくて服装でも自分を表現することはできる。

マズローの話は今の私にも大事な話かもしれんね。

2023/12/28

(下書き供養)推しが結婚した話

2021年5月19日水曜日。

 

私は深夜にラジオを聴いていた。「星野源オールナイトニッポン」、私が大好きなラジオだ。今日のゲストは山岸聖太さんで、とても楽しく面白い回だった。

先週の金曜日は、「バナナマンバナナムーンGOLD」を聴いていた。弟や仲の良い後輩のような空気感、気を許した親友とのラジオ。テンポの良い会話。どちらも源さんの新しい一面を見られたような気がして、なんだか嬉しかったのだ。

 

午後4時。私はたまたまインスタを見ていた。オンライン授業が早く終わり、数十分後に始まるオンライン講演会まで時間つぶしをしていたのだ。画面をスクロールしていたら、突然、とある画像が目に入った。「いつも応援してくださる皆様へ…」その言葉を目にした瞬間は、これは誰かが勝手に作ったコラ画像なのかと思った。お相手の名前の部分を三度見くらいしてしまった。

その後急いでTwitterに飛んだが、誰もそのことをつぶやいている人がいなかった。混乱のまま、何かをつぶやいたような気がする。そこでやっとフォロワーたちの驚きの声が届き始めた。やっぱりこれは冗談ではないのか。本当のことなのか。

もう一度インスタの文章を読み、思わず「えぇぇ!?」と叫んでしまった。だって本当のこととは信じられないお相手だ。とても嬉しかった。嬉しすぎて涙が出てきた。

フォロワーたちと喜びあっていると、リアルの友達からLINEが来た。Twitterのトレンドもあっという間に二人のことでもちきりだった。

講演会の内容なんて全く頭に入らず、ずっとTwitterで嬉しさを叫び、誰かの驚きの声と喜びの声を眺めていた。

講演会がいつの間にか終わったあと、私は興奮のまま、雨が降っていたにも関わらず隣駅の不二家まで走った。先週のバナナムーンGOLD不二家のプレミアムショートケーキを源さんが食べていて、私も食べてみたいと思っていたからだ。今まで不二家に足を踏み入れたことはなかったが、こんな機会だ、思いっきって行ってみた。その店舗にはプレミアムショートケーキは置いていなかったので、とちおとめのショートケーキを買ってきた。

 

気がついたら発表から数時間も経っていた。

Twitterのお祭り騒ぎも、夕飯の時間になり少し落ち着いた。嬉しくて泣けてくるなんて、どれだけ幸せなことなんだ。夕飯を食べ、ケーキを食べていると、ふと自分の中に寂しさがあることに気がついた。気がついてしまったら、じわじわとその寂しさは大きくなっていく。滲み出るような寂しさだ。せっかくのケーキが寂しい味になってしまった。

 

眠れない。明日は大学に行かなければいけないのに。もう3時だ。数時間もしたら起きなければいけない。なぜ私は寂しいんだろう。自分が寂しさを感じていることに驚いた。さっき勢いで逃げ恥SPのときの二人が表紙の雑誌をポチってしまった。謎の寂しさを感じている人はまだ少ないみたいだ。この寂しさは夜だからだろうか。もうひとつ雑誌が欲しかったが、在庫がなかったので初めて電子書籍版を買った。間違えて家族カードのクレジットカードで買ってしまった。やらかした。めちゃくちゃやらかした。ダメだ。今のまま起きていても良い方向には転がらない。寝よう、眠れなくても目をつぶろう。明日は大学だ。夕方のニュースは見る勇気が出なかった。

 

朝になった。いつの間にか眠っていたようだ。

起きがけに突然寂しさが襲ってきた。目覚めた瞬間から寂しいってなんだ。何もやる気にならない。朝起きただけでも偉いと思う。大学にも行きたくないが、休む勇気は残念ながら持ち合わせていない。恐る恐る、朝のニュースをつけた。どこもかしこも、結婚の話題でもちきりだ。どうやら昨日のことは夢ではないらしい。現実みたいだ。

寂しいという気持ちを感じていたら、いつの間にか大学が終わった。もう、とにかく早く帰りたかった。大学に行っただけでめちゃくちゃ偉いと思う。

 

私は何か自分の気持ちが乱される出来事があると、なぜそう思うのか、これからどうしたらいいのか、気持ちの整理をつけるための時間が欲しくなる。いわば気持ちの素因数分解だ。それをしないと先に進めない気がしてしまう。しかし、自分の気持ちと向き合うことは膨大な体力と気力と時間を使う。

 

 

結構考えて文章書いてますねw続き読みたいわ普通に。この後私はこの気持ちを拗らせ、アンチになりかけますw 未だにお相手のことは好きじゃないしね。源さんの全てが好きじゃなくても、生み出される作品や考えが好きならそれはそれでいいじゃないか。光の跡素晴らしかったぞ!2023/12/28