marurin’s diary

心のままにつぶやくだけの場所

(下書き供養)人生で初めて絵を描いた話

2021年6月5日

 

人生で初めて描いた絵を、Twitterとインスタグラムに投稿した。

 

絵を描こうと思ったきっかけは、星野源の「不思議」のMVを見たことと、その頃YOASOBIの「アンコール」というMVを見て、元となった小説を読んだことだ。

不思議はMVが公開されてすぐのことだったが、アンコールはたまたま知って、とても好きだなと思ってよく聞いていた。不思議のMVはテレビの大画面で4Kで見るととても綺麗で素晴らしいMVになっている。

どちらもそこは2人以外の人間がいない世界。恐らく不思議の世界は本当に1人と1匹しかいなくて、アンコールの世界はその街にはもう2人しかいないのだろう。

そしてアンコールの原作を読み、不思議のMVを見て、私はこの2つの世界観に通じるものを感じた。アンコールでは世界が終わる最後の日に、2人とも本当に音楽が好きだということに気がついていく。不思議は、きっと源さんは本当に世界から誰もいなくなっても、今日が世界最後の日でも、こうやって音楽に乗って歌い、踊っていくのだろうなと思わせてくれる。

 

どちらの世界の人間も、音楽を心から愛しているのだ。

 

それに気がついた時、どうしようもなく湧き上がってくる想いを感じた。そしてこの衝動を、この気持ちを形にしたい、表現したいと思った。そして、「絵を描こう!」と思い至ったのだ。

 

しかし、私は今まで絵を描いたことがない。ずっと自分は絵が下手だと思って生きてきた19年間だった。一時期絵が描けるようになりたいと思って、好きな絵を模写していたことはあったが、すぐに飽きてやめてしまった。

絵を描こうと思った数日前、何故か久々にibis paintを開いて、その時よりもできることが増えていることに気が付き、すごいな、なんて思っていた。こうやって振り返ってみると、このスイッチがなかったら描こうとも思わなかったのかもしれない。

 

絵を描いたことはないが、この込み上げる想いを絵にしたい。こんなに心の底から「この気持ちを表現したい!」なんて思ったことはなかった。

 

今までずっと自分には何も無いと思っていた。

自分を表現するものなんて何一つ持っていなかった。絵も下手で、文章を思いつくこともできず、才能なんてなくて、本当に何も無いと思った。そんな自分がいやだった。だからTwitterやインスタで、絵を描いたり文章を書いたりする人を見て羨ましかった。楽しく見させてもらっているが、違う世界の人間だ、とまで思っていたかもしれない。

 

余談になるが、絵を描く数日前リングを買った。源さんが指輪をつけ始めてからずっと私もつけてみたかったのだ。ピンキーリングとフリーサイズの指輪を買ってみた。大学の行きの電車で、どうしようもなくピンキーリングが欲しくなり、その勢いのまま授業の空きコマに買いに行った。お店に入るのはドキドキしたが、しれっといつも来てますよ?感を出して行った。しかし指輪にはサイズがあり、デザインも多様でまごついていたので、店員さんには少し怪しい人に見られたかもしれない。

いざ買って付けてみると、それだけで気持ちが明るくなった。指輪が少し大きく落としそうで怖かったが、それでも久々にこんなに嬉しい気持ちになった、と思うくらいには世界がキラキラ輝いて見えた。

今思うと、自分を表現したいという欲求は少しずつ出てきていたのかもしれない。

 

描こうと思っても、何も知識がないためMVのスクショをとり、なぞるという描き方しかできなかった。まだ自分の頭の中で想像した絵を実際に描くことはできなかった。ひたすら夢中になって時間を忘れ、ツールの使い方に試行錯誤したり、色味を何にしたらいいか考え、もう直感と感覚で描いていった。

気がついたらすっかり夜中で、4時間くらい描いていたようだ。こんなに集中したのは久しぶりだった。まだまだ終わりは見えてこない。絵を描くことは、とてつもない時間と体力と気力を使うものだと知った。

 

次の日の夜、一日中頭から離れなかった絵の続きを描いた。昨日の描き途中のものを見ると、どうしても直したくなる。絵というものは、もしかしたら冷静になると自信が無くなってしまい、勢いで描きあげた方が気持ち的には楽なのかもしれない。しかし、時間をかけた分だけこだわれるのだろう。ほぼほぼ完成し、最後の文字入れになったがどこがいいか試しすぎて分からなくなった。とりあえず明日の自分の判断に任せよう。ものづくりが深夜に捗るという源さんの気持ちが少し分かる気がした。

 

次の日、完成した絵を見て自分なりにとても充実感があった。人生で初めてやり遂げた!というような気持ちを感じた。こだわりたいところはとことんこだわり、今の自分の限界の絵が描けた。とても嬉しかった。表現することが、こんなにも大変で悩むことだとは思わなかったが、それ以上の楽しさ、充実感を得た。楽しかった。

 

その日の夜、Twitterとインスタグラムにその絵をアップした。自分でやり切ってしまい、SNS上に載せるのが少し億劫になってしまったが、元々上げるために描いたものだった。インスタには自分の想いを簡潔に書いた。源さんにピックアップしてもらえたら、なんて夢物語を思い描きながら。

私がその時引用した歌詞

"孤独の側にある 勇気に足るもの"

この""もどれを使ったらいいのか、タグはどれが公式に使われているのか、自分の想いをどのくらいまで書くのか、見えもらえる時間帯はいつだろうか、インスタのリンクを貼った方がいいのだろうか、などここにも表現の個性が出るのだろうと思った。

どうしてこの歌詞にしたかというと、私がとても好きな歌詞だから、ということもあるが、この絵を描いている時に、この歌詞が身に染みてわかったような気がしたのだ。

"好き"というこの突然込み上げてきた気持ちを持つことで、こんな地獄の毎日を一日一日、地に足をつけて歩くことができる。その"好き"という気持ちは、この世界を歩いていくための勇気である。

上手く言葉にできないが、本当に心からその通りだと思った。この歌詞を書ける星野源は本当にすごい。

 

絵を投稿してしばらくはなんの反応も貰えなかった。そんなものか、と少し落胆しつつ寝ようとしていた。その時、とある方からリプを頂いた。とても嬉しかった。自分の作品を、表現を褒めて貰えることがこんなにも嬉しいことだとは。泣きそうなほど嬉しかった。この嬉しさは実際に体験しないと分からないことだったかもしれない。

次の日起きてからも、たくさんのいいねとDMを頂いた。他の方の絵を見ていると、自分の絵がやっぱり足元にも及ばないことに気がつくが、これが今の自分の限界だ。それでも、次を楽しみにしてくださる方がいる、わざわざ足を止めてコメントをくださる人がいる。もし批判されたらどうしよう、と少しの不安を抱えた投稿だったため、こんなにも優しく絵の世界に迎えてくれてとても嬉しかった。この世界はこんなにもクソだけれども、まだこんなに優しい世界が残っていたんだと思った。そして、ずっと外側から羨ましく見ているしかなかった世界に1歩足を踏み入れられたことが嬉しかった。幸せだと思った。幸せすぎて、嬉しすぎてこの後が怖くなるほどだった。

また次に描きたいという衝動がやってきたら、書きたいと思う。次は、いいねの数やコメントの数を気にすることなく、依存することなく自分の表現がしたい、というだけで絵をかけたら、素晴らしいと思う。承認欲求への依存が少し怖くなったことも事実だ。

 

今まで承認欲求が自分の中から出てこなかったのはどうしてだろう、と思った。調べてみると

マズローの欲求5段階説というものが出てきた。人間は食べたい、寝たいなどの生理的欲求が満たされると、安全に暮らしたいという安全の欲求が出てくる。それが満たされると社会的欲求といって仲間を得たいと思うようになる。

その後承認欲求が出てきて、それが満たされると自分のなりたい自分になりたいという自己実現の欲求へとなっていく。

私が今まで承認欲求が強く出てこなかったのは、心の余裕も時間の余裕もなかったからなのではないだろうか。大学生になり少し経って、それなりに友達も出来て安定して、一人暮らしにも少し慣れてきたからこそのこのタイミングだったのではと感じた。

 

色々なことをつらつらと書いたが、結局は絵を描くということで、自分にもできることがあるのかもしれない。自分には何も無い、ということはないのかもしれない。今まで苦手だったことも、やってみたらできることがあるかもしれない。そういう自信になった。自分に自信が持てたことは人生で初めてだったかもしれない。そして、絵を描くことで初めて「生きていける」と思った。これを仕事にする訳では無いが、自分の人生を歩んでいく術を見つけたような気持ちになった。純粋に嬉しかったということが伝わればいいなと思う。

 

絵を描こうという気持ちにさせてくれた源さんと、Twitterで自分の表現をして、刺激をくれた皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます!これからも、自分の表現を、自分のペースややり方でやっていけたら、と思います。

 

 

2021年6月7日

 

人生で初めて絵を描いた話 fin.

 

これなんでアップしてなかったんだろ。読み返して恥ずかしくなったのかな?

結局その後、トレースで描いた絵を自分で描いたと言って良いのかどうかという問題が話題になり、なんだか恥ずかしく怖くなってTwitterもインスタの方も投稿は消してしまった。

でも、今でも不思議のMVは源さんの歴代の中で1番だと思ってるし、その時感じた感情の昂りも覚えている。その後1度も描いてないけど、描きたいという気持ちはあるんだ。画力が皆無なだけで。自分の表現ってめちゃくちゃ難しい。指輪だけじゃなくて服装でも自分を表現することはできる。

マズローの話は今の私にも大事な話かもしれんね。

2023/12/28

(下書き供養)推しが結婚した話

2021年5月19日水曜日。

 

私は深夜にラジオを聴いていた。「星野源オールナイトニッポン」、私が大好きなラジオだ。今日のゲストは山岸聖太さんで、とても楽しく面白い回だった。

先週の金曜日は、「バナナマンバナナムーンGOLD」を聴いていた。弟や仲の良い後輩のような空気感、気を許した親友とのラジオ。テンポの良い会話。どちらも源さんの新しい一面を見られたような気がして、なんだか嬉しかったのだ。

 

午後4時。私はたまたまインスタを見ていた。オンライン授業が早く終わり、数十分後に始まるオンライン講演会まで時間つぶしをしていたのだ。画面をスクロールしていたら、突然、とある画像が目に入った。「いつも応援してくださる皆様へ…」その言葉を目にした瞬間は、これは誰かが勝手に作ったコラ画像なのかと思った。お相手の名前の部分を三度見くらいしてしまった。

その後急いでTwitterに飛んだが、誰もそのことをつぶやいている人がいなかった。混乱のまま、何かをつぶやいたような気がする。そこでやっとフォロワーたちの驚きの声が届き始めた。やっぱりこれは冗談ではないのか。本当のことなのか。

もう一度インスタの文章を読み、思わず「えぇぇ!?」と叫んでしまった。だって本当のこととは信じられないお相手だ。とても嬉しかった。嬉しすぎて涙が出てきた。

フォロワーたちと喜びあっていると、リアルの友達からLINEが来た。Twitterのトレンドもあっという間に二人のことでもちきりだった。

講演会の内容なんて全く頭に入らず、ずっとTwitterで嬉しさを叫び、誰かの驚きの声と喜びの声を眺めていた。

講演会がいつの間にか終わったあと、私は興奮のまま、雨が降っていたにも関わらず隣駅の不二家まで走った。先週のバナナムーンGOLD不二家のプレミアムショートケーキを源さんが食べていて、私も食べてみたいと思っていたからだ。今まで不二家に足を踏み入れたことはなかったが、こんな機会だ、思いっきって行ってみた。その店舗にはプレミアムショートケーキは置いていなかったので、とちおとめのショートケーキを買ってきた。

 

気がついたら発表から数時間も経っていた。

Twitterのお祭り騒ぎも、夕飯の時間になり少し落ち着いた。嬉しくて泣けてくるなんて、どれだけ幸せなことなんだ。夕飯を食べ、ケーキを食べていると、ふと自分の中に寂しさがあることに気がついた。気がついてしまったら、じわじわとその寂しさは大きくなっていく。滲み出るような寂しさだ。せっかくのケーキが寂しい味になってしまった。

 

眠れない。明日は大学に行かなければいけないのに。もう3時だ。数時間もしたら起きなければいけない。なぜ私は寂しいんだろう。自分が寂しさを感じていることに驚いた。さっき勢いで逃げ恥SPのときの二人が表紙の雑誌をポチってしまった。謎の寂しさを感じている人はまだ少ないみたいだ。この寂しさは夜だからだろうか。もうひとつ雑誌が欲しかったが、在庫がなかったので初めて電子書籍版を買った。間違えて家族カードのクレジットカードで買ってしまった。やらかした。めちゃくちゃやらかした。ダメだ。今のまま起きていても良い方向には転がらない。寝よう、眠れなくても目をつぶろう。明日は大学だ。夕方のニュースは見る勇気が出なかった。

 

朝になった。いつの間にか眠っていたようだ。

起きがけに突然寂しさが襲ってきた。目覚めた瞬間から寂しいってなんだ。何もやる気にならない。朝起きただけでも偉いと思う。大学にも行きたくないが、休む勇気は残念ながら持ち合わせていない。恐る恐る、朝のニュースをつけた。どこもかしこも、結婚の話題でもちきりだ。どうやら昨日のことは夢ではないらしい。現実みたいだ。

寂しいという気持ちを感じていたら、いつの間にか大学が終わった。もう、とにかく早く帰りたかった。大学に行っただけでめちゃくちゃ偉いと思う。

 

私は何か自分の気持ちが乱される出来事があると、なぜそう思うのか、これからどうしたらいいのか、気持ちの整理をつけるための時間が欲しくなる。いわば気持ちの素因数分解だ。それをしないと先に進めない気がしてしまう。しかし、自分の気持ちと向き合うことは膨大な体力と気力と時間を使う。

 

 

結構考えて文章書いてますねw続き読みたいわ普通に。この後私はこの気持ちを拗らせ、アンチになりかけますw 未だにお相手のことは好きじゃないしね。源さんの全てが好きじゃなくても、生み出される作品や考えが好きならそれはそれでいいじゃないか。光の跡素晴らしかったぞ!2023/12/28

(下書き供養)

愛されたいなって思うんです。

 

誰でもいいから、私のことを愛してほしいなって。

 

それは恋愛でも、友愛でも、親愛でもいい。

 

私は多分、親に愛されていなくて。

いや、本当は愛されているんだと思う。

ただ、自分がその愛情をまっすぐに受け取れなくて。

愛されていないんじゃないかって思ってしまう。

 

だから、愛されたいって思う。

 

親に愛されていないかもって思い始めたのは本当に最近。

あれ、私愛されてないかもって。

ずっとずっと普通に愛されているって思ってた。

愛されていることを疑ったこともなかった。

だから、愛されていないことに気が付いて、自分でもびっくりするくらいダメージを受けて。。。

 

親のことなんて信用してないんだから、愛されていなくてもいいって思おうとしてるのに、私、こんな親にでも愛されたかったんだなって。

自分の中に、「親に愛されたい」っていう普通の感情があったことに驚いた。

 

親からの愛情を知らない人は、3つに分かれる。

 

愛を欲しがるか

愛を諦めるか

愛を与えるか

 

 

こんな言葉を、昔二次創作の小説を読んでいた時に見たことがある。

私はどうやら、愛を欲しがる人になったみたいだ。

愛を知らないのに、どうやったら愛を与える人になれるんだろうと考えたことがある。

きっと、それは自分で自分のことを愛するか、誰かにとても愛されることでしか、愛を与える人にはなれないんじゃないだろうか。

 

 

やっぱり考えが若いよね。疑心暗鬼になる年頃というか。確実に私は両親に愛されてるよ。この言葉は今でも覚えてるな。時々素晴らしい小説に出会うことあるよね。これだから読むのをやめられん 2023/12/28

(下書き供養)

お久しぶりです。

このブログを始めてから、もう半年も経つみたいです。

文章を書くのってとても労力がかかるみたいで、なかなかブログが書けません。。。

書きたい!ってなることは多いんですけど、実行に移せないというか。

あと、パソコンじゃないとブログ書いている気にならないことに気が付いて。

パソコン開くのなんて週に1回くらいなので、よけい筆が進まないという(笑)

 

今回は、私が一番つらかった時の話をしようかな、なんて思います。

いつかは書きたいな、とか思っていたんですけどね。

なかなか自分の中で整理がつけられなくて。

 

私は今高校三年生で、絶賛受験生です。

そのことがあったのは、高2のときで、今から約1年前のことです。

今そのことを思い出しても、少し息苦しくなってしまいます。

 

2019年10月のある朝、私は学校に行くために駅に向かっていました。

もう遅刻ぎりぎりの時間で、急いでホームへの階段を駆け上りました。

すると、前の40代かそれより上の女性の靴に足が少し当たってしまった。

ほんとうに少し。

 

確か辛くなって書き進められなかった気がする。今ではもう乗り越えた感じはあるかな

2023/12/28

今年の振り返り2023

今年は色々と大変な1年だったなと

 

まず祖父の喪中の最中年明けを迎え、1月に関ジャニ∞の18祭冬のドームツアーに参戦

成人式に参加(まじで時間の無駄だった)

その後優くんのリラリピツアーで千葉へ

 

2月にヤスくんの映画嘘八百を見に行く

鑑賞会も今年は多かった

コナンの映画誘われて見に行ったり、牛角に初めて行ったのも今年らしい。

ブルエンの武道館公演にも行ったね

高校からのイツメンでロッジに泊まったりもした!めちゃ寒かった

あとどうやら家でクッキー作ってたらしいわ

 

3月には初めて友達と旅行に行った 大阪旅行で新喜劇観たなぁ初USJも!USJ楽しかったな 初めて友達と旅行したから中々上手くいかないところもあって反省…

日常組を好きになったのも3月らしい もっと長いと思ってた 脱獄3でどハマりした

 

5月には原宿でやってた日常組コラボを見に行ったな

そのまま誕生日を迎え、人生の半分を共にした愛犬が天国に旅立ちました

主役は我々だを好きになったのもこの頃 乗っ取り騒ぎからハマりました

 

6月には米津さんの空想に参戦した

初めてアフタヌーンティーに行ったのも6月

 

7月はVCRGTAでらっだぁを知りどハマり。そこからストグラも観るようになった Twitchの存在知ったのも多分この辺

ポケスリ始まったのもこの辺らしい 意外と続いてる

 

8月はヤスくんの舞台、少女都市からの呼び声を見に行った 初めてメンバーの舞台見たけどすんごい話だった

リングフィット始めたのもこの頃 未だにクリアしてないわ…

日常組や我々だから派生してむつーさんのTRPGにハマって、渋谷の傀逅展に行った

リモしるライブでめちゃくちゃ席近かったな

イクラ肝試しも楽しかったし、原神のフォンテーヌアプデも良かった

自由が丘の夏祭りにも行ったな

8月くらいからはちょっと記憶あるかも

 

9月からは完全1人の一人暮らしが始まって、部屋も兄の部屋に移動した 片付けめちゃくちゃ大変だったな

立川でたまたま野外上映やっててトップガン観た

一人暮らし始めてからストグラとかの配信が常に流れてた気がする

閉館する前にと吉祥寺プラザ行った その日初めて一日に映画2本見て、オールした 

 

10月にはご飯屋さんやカフェ巡り始めた。そしたら一瞬にしてめちゃ太ってびっくり 3キロくらいは太って過去最高体重更新した。クリームソーダ集めもここから始めた。

長崎にも帰ってグルメ旅してきた 47ツアー始めたのもここから

 

11月にはアップリンク吉祥寺に行けた。相変わらずカフェ巡りとかしてた

しぐなるぜろの追加公演でKアリーナに行って、地獄の物販並んでた イベントは結構楽しかった

就活ちゃんと始めたのはこの辺だと思う

タバコ吸ったり、アダルトグッズ買ったりとかもしてたかな 初めてODしたのもこの頃 ODしたら生理不順になっちゃった それならお酒の方がいいかもね

 

12月にはスクランブルスクエアに登った

クリスマスマーケットに初めて行ったり、パール達が帰ってきたり。クリスマスパーティーしたり。そして明日仕事納め。スパイファミリーの映画めちゃ良かったな

 

今年はずっと生死について考えてた。あまりにも喪失が大きすぎて。いつかは何もかもなくなってしまうのにどうして生きるんだろうって。

あとは21歳になってやっと少し大人になった気がする。今でも精神年齢は18くらいで止まってるけどみんな見かけだけでも大人に見せてるんだなって

今まで嘘つくのが下手くそで正直に生きろと言われていたけど、大人になると嘘も大事だということに気がつく。

とにかく就活の焦りや不安がとんでもない。自己肯定感皆無なことに気づく。周りとどうしても比べちゃう。

死にたい気持ちに襲われるけど、本当はこの世界にいたくて。でも死にたい気持ちは消えなくて、生きることも死ぬことも選べないって感じる。

 

ひたすらに喪失と生死に向き合った1年だった。反省も多かったし。でも振り返ると新しい出会いもしてたみたいだ。気持ちの面で結構頑張って生きてた1年だと思ってる。お疲れ様

ひとりごと

どうやら、寂しいと寒いとお腹空いたは似ているらしい

 

大人とは、どんなに辛いことがあっても明日のためにご飯を食べられる人なのかもしれない

 

食べることは生きること。私は辛いことがあっても生きているからお腹が空くと学んだこの1.2年で大人になってしまったのかもしれない。ずっと大人になりたくなかったような気がする。

 

生きることに罪悪を覚えるな ってすごいセリフ

(黄金の総統室 より)

 

食べることを大事にしている人は色々辛い想いしたことが多かったのかもしれない。きっと優しい人だ

 

心が弱ってると体まで弱ってしまうけど、それは体まで弱っていてほしいという気持ちからって目からウロコ

 

私は確かに20歳超えてからどうやら大人になったらしい。いつまでも子供のままではいられないんだな

 

感情が薄くなったのではなく、心と体のリンクが薄くなったのかもしれない

 

若さが、青さがなくなったのかな 青春が終わったのかも やっぱり10代特有の青さって私にもあったんだな なんか寂しい あまりいい思い出なかったけど終わってしまうとやっぱり寂しいね

ずっとあの頃のみずみずしさ、繊細さを追い求めていたから上手くいかなかったのかな 大人はこどもになれない そうかぁ 心と体がリンクしてなくても、もう仕方ないのか あの頃の強烈な感情って貴重だったんだな

 

関ジャニ∞18祭冬に行ってきました

私は東京ドーム初日と2日目の2日間参戦してきました!最高だった😭制御型ペンラがめちゃくちゃ綺麗で、物議醸してたけどほんとに良かったなぁって。友達と一緒にはしゃげたのも嬉しかったし、声出しが3年ぶりとかで本当に久々でした!メンバーもテンション高くて、丸ちゃんのギャグが炸裂してて爆笑でしたw

ひとつのうたで5人集まって歌ってるところが本当に幸せな空間で、これが愛おしいって言うんだなって。この瞬間が一分一秒でも長く続きますようにと。

 

関ジャニ∞も18周年を迎え、いつまで会いに行けるんだろうって不安になってしまって…でも今日すごく幸せで、今年もまだまだ楽しいことたくさんありそうで。きっと20周年も楽しいことしてくれるんだろうなって思えて。それの繰り返しなのかなって。あと何回会えるかなんて分かりそうで分かりたくなくて。だからこそ会いに行ける時はできる限り会いに行きたい、そう思いました。でも無理せず、お財布とも相談して適切な距離を保ちながら長く長く応援していきたいですね。私は関ジャニ∞のさいごを見届けるつもりなので笑

私もメンバーも関ジャニ∞もいつかは終わりが来るわけで。それはここ数年で痛いほど分かって。それでも永遠を夢見させてくれる関ジャニ∞は強いなと。これぞまさしくアイドルだな、なんて。きっとこれから先応援してたら辛いこともあるだろうけど、一緒に人生を歩んでいきたい、そう思える人達に出会えた私はきっと幸せな人生なんだろうなって思います。関ジャニ∞からめちゃくちゃ大きな愛を受け取って、本当に幸せで満たされて、ああ、好きだなぁって。好きだからこそ終わりが来ることが怖くて寂しいけど、この気持ちはきっと消えることはないんだろうな。

ライブが終わって寂しさで胸にぽっかり穴が空いてるのも、関ジャニ∞からもらったものと思えば少しは愛おしいかな?満たされた気持ちと寂しい気持ちを両立して持てるのって人間ほんとに器用だよね。

 

って昨日の私が寝落ちする前に言ってました!笑 最終日の今日はなんだかとても寂しかったけど、みんなのレポみて幸せな気持ちになってます。多幸感ってやつ!関ジャニ∞に出会えて幸せです。無事に東京公演終わって良かった!お疲れ様でした!早く円盤見たい!会いに行きたい!